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バブル期であれば、浜辺ではなく竹やぶか? [フェニックス中華鍋じゃーん]

ピンク色のペチュニア.jpg

 ペチュニアだと思うよー。パラソルパラソル。

 8月になりました。去年は9月中もずっと暑い日が続き、「8月は60日あるのではないか」と疑ったりしていました。今年はどうかそんなことにはなりませんようにと願う高菜らいすです。夜中に雨が降ったり、夕方に雨が降ったりしてくれて多少は涼しい気持ちになったりもしていますけれど、基本的には「夏」ですね、暑いわやっぱ。

 ぐったりの毎日です。

 お昼寝をよくしているのですけれど、そのおともにiPodで音楽を聴いていたりします。iPodはほんと、重宝しています。いろんな音楽を楽しんでいるよ。そんでこの頃聴いているのは落語なのです。あれ、音楽ではないかも?(^^; まあそれはさておき、以前「お初徳兵衛」や「後生鰻」が面白かったとここでも述べたように思います。その後さらに多くの演目を漁っています。怪談話とかね。古今亭志ん生さんだけではなく他の方のも聞いてみたり。そうしてますます「志ん生さんは酔っ払い方が巧い気がするなあ」と再評価しちゃったり。

 ほんとに酔ってんじゃねえか?

 と疑いつつ。実際に舞台上でもお酒で酔っていた、という逸話もあるそうです。あるときには舞台に上がってそのまま寝てしまったこともあったとか。お客からは「今日は寝かせてやれー」と声が飛んだとか(笑) ほんまかいな。さておきこの頃お気に入りで何度も聴いている演目が「芝浜」という演目なのだ。

 簡単に「芝浜」の説明を申し上げますと、魚の振り売りをしている男とその妻の人情噺なのだ。男は名を熊という。熊さんはお酒が大好き。仕事の途中でお酒を飲んじゃったりして失敗したこともあり、何度か断酒宣言をするもことごとくうまくいかなかった。ある朝、少し早起きしてしまった熊さんは浜辺で50両もの大金の入った箱が打ち上げられているのを発見する。やった!これで贅沢して遊んで暮らせる!と喜び勇んで妻のもとへ持って返ってくるのだけれど、拾得物であり、バレたらしょっぴかれて暗いところへ入れられる、と妻は心配する。

 そこで妻は一計を。熊さんを「まあまあとりあえず」と言って寝かせて、その間に大家さんに相談、番所へ拾ったものを届けたのであった。さて、熊さんは起きて喜び気分のまま友人知人を連れて宴会騒ぎへ。なんせ50両もあるんだ、遊ぶぞーってなもんです。そうしてぐでんぐでんに酔っ払い、お店先で寝てしまう。そこへ妻が迎えに来る。

熊「おお、すまねえが、お代をはらっといてくんねえか」
妻「? あんた、なにいってんの?」
熊「50両があるじゃねえか」
妻「は? 夢でもみたんじゃね?」
熊「夢! あれは夢か! まじか! ガクブル……」

 50両を拾ったことは夢だったことになる。あまりの自分の酷さにがっかりで、熊さんはついにお酒を辞めることに成功した。そのあと無我夢中で働き、年の瀬に借金に追われる生活からも解放されるまでになったんであった。「やっぱ人間、働かねえとな!」なんて言っちゃったりしてるし。もともと、お魚の良し悪しがわかる良い眼を持っている人だったのだ。お酒に目がないところだけが欠点だった。部屋の畳を新品に出来たりするくらい余裕が持てるようになったんである。

 そうしてある年の瀬に、妻がついに白状する。

 「あの50両は夢ではなかった。でも、遊んで暮らそう!と言っていたあなたが心配だった。豪遊していたらすぐに羽振りがいいのがバレて、拾ったものを届けなかったことで罰せられていただろう、それも心配だった。落とし主が現れず50両は熊さん、ようやくあなたのものになった。騙してしまってすまなかったね」

 そう言われて熊さんは、妻が本気で自分のことを心配してくれていたことがわかり、「そうしてくれてありがとう」なんて述べるんであった。それをきいた妻は、こう切り出した。

「さあ、もう大丈夫だろう。熊さん、今夜はお酒を飲んでいいよ」
 目の前には久しぶりのお酒。
「うわー、久しぶりだなあ、この香り、いいねえ」
 と熊さんは喜ぶのだけれど、ふと、飲もうとしていたその手を止める。
「あんた、どうしたんだい? もう飲んでいいんだよ?」
 熊さんは言う。
「やっぱり、酒はよしとこう」
「どうしてさ?」
「……また、夢になったら困る」

 そこでお話は終わるのでした。

 なんか面白い、エエ話やなあと高菜らいすは思いつつ、ぼけーっと天井を眺めているんであります。二人が末永く仲良く暮らせればいいなあなどと思ったり。とりあえず素敵な年越しを迎えられたのではないか、そんな気がしたんであります。

 高菜はどうも「人情話」が好きみたいだ。他にもないものかと探しています。落語というジャンルだけではなく、たとえば「講談」という芸能もある。この講談というのは、主に軍記物や政談を名調子で語ってくれる芸能のことなのだ。youtubeなどに動画が上がっていたりします。(がんだむ講談、なんてものもあったよー) ただ、扱っている題材が歴史上の人物であったり、大事件であったりで、落語の人情噺と比べると、身近ではないというか。人情噺の高菜らいすにとっての肝は、「誰もが持っている駄目なとこ、よいとこ」なのであって。にはは。

 いまのところ、古今亭志ん生さんの人情話に勝るものは見つけられずにいます。また講談はどうも語りの抑揚がお経っぽく聞こえちゃって(^^; それでもたぶん、あるとき、「あ! 講談面白い!」と高菜らいすが感じる未来がやってくることでしょう。何度かすれ違い、あるときはっと見つめあう、そんな瞬間が訪れるに違いない。むふふ。

 落語が「伝統芸能」として褒め称えられ、ちょっと近寄りがたい(喩えるなら「一見さんお断り」的な)イメージもあるかもしれないのですけれど、そして寡聞にして高菜らいすにはその「伝統のすごさ」部分についてはいまいちよくわかっておりませんけれども、それでも「人のダメな部分」と「良い部分」、それはつまりちょいと「人の本当の部分」が、シリアスになりすぎずに笑いを交えて語られる、そういうところが落語が長く続いている理由なのかなあと思ったりします。

 仮の未来を想定する高菜らいす、自分がもしママになったとき、子供が夜寝る前に「ママー、絵本を読んでー」とせがまれることもあるかもしれない。そのときには「まあ絵本はさておき、娘よ、これを聴け」と、落語を聞かすなんてことも……ないかな?(笑) 飲む打つ買うとかは子供にはワカンナイしな。落語はやはり、大人の愉しみです。にはは。

 他の人情話も探してみたいと思います。
 ではでは。


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