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そろそろ携帯電話の神とか、言い出す [いつも渡り廊下シルフ]

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 本日は五山の送り火が行われます。

 午後八時過ぎからほんの一時間程度の賑わいなのですけれど、いったいどこから!と叫びたくなるほど人だかりになります。高菜らいすは緊張しております。電車がめちゃくちゃ混む。どこでもドアでも觔斗雲でも魔法の絨毯でもなんでもいい、誰かくれないものかなあとぼんやり考えるここ数日でありました。

 先日、『図説、地図とあらすじで分かる! 古事記と日本書紀』(坂本勝著)という本を読みました。数年前から高菜らいすは「創世記」というものに非常に関心を持っておりまして、それはなにかというと、「物書きを目指すんであればひとつ、高菜らいすという個体がでっちあげる世界の成り立ちなんかを書いてみたい」という気持ちがありまして、そのせいで現在に伝わる様々な文化の創世記が気になるのであります。

 キリスト教の旧約聖書、それからギリシャ神話、さらにケルトの神々などなど、世の中にはたくさんのでっちあげがあり、面白いなあ、高菜もやってみたいなあとわくわくしてしまうのですけれど、そういえば日本にもあったのでは? と気がついたのです。そうです古事記日本書紀です。図書館にてたまたま借りられる冊数に余裕がありましたので、手にとったこの新書を借りてみました。

 ややー、面白い。

 イザナキ、イザナミという二柱の神については、高菜らいすは女神転生というテレビゲームで初めてのその名前を知ったように記憶しています。「ワガナハ ドリアード コンゴトモ ヨロシク」などなど、懐かしいゲームです。炎の腐海というダンジョンで高菜らいすはギブアップしました(笑) 歩くたび、ダメージ受けるよ。あとエナジードレインというレベルを下げてくる魔法がありまして、非常に恐ろしかった。難易度高すぎる。

 さてさて古事記の解説を読んでみると、この二柱以外にもたくさんの神々が出てきました。二柱の以前にもいくつかの神々がいて、そのあとにアマテラス、スサノヲ、オホクニヌシなど、名前を聞いたことのあるものが。それ以外にも大量の神々が、その神々の身体から生まれてきておりました。「天津日高日子番能邇邇芸命(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)」やその孫にあたる「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズノミコト)」などという存在も登場し、「なんと……まだまだ知らない響きの名前がいっぱいある。そして、長くて覚えられない!」と高菜らいす個人はたいへん驚嘆、感動したのでした。読み進めるに従って次第に神の時代から人に近い存在が登場する物語になる。ヤマトタケルの遠征などは大作RPGゲームにでもなりそうなストーリーです。荒ぶる地方の神々との戦い、伝説の武具、その気性を恐れられ父親から疎まれてしまう悲しい物語などなど、非常にわくわくいたします。

 個人的には、死んだイザナミが黄泉の世界から夫イザナキを執拗に追いかけてくるのが面白かった。ゾンビになって追いかけてくるのじゃよー。怖いー。(似たような神話はギリシャ神話にもあるそうですね。オルフェウスとエウリディケ、だっけな?) 人のあるところには似たような神話が生まれるのか?と考えるのも面白いし、シルクロードを経てはるばる神話が伝わってきていたと考えるのも面白いなと思います。そういえば日本書紀に出てくる「厩戸皇子」は、イエス・キリストのエピソードと似てね?と思ったりね。

 そうだ。以前ウェブログでもお話しした下鴨神社の八咫烏ですけれど、イワレビコノミコト(神武天皇)を導いたと紹介されていました。

 さておき、古事記が神代のことを中心に記述されているのに比べて、日本書紀には天地開闢から持統天皇の時代のことまでが細かく書いてある。この2つの書物の編纂を命じたのが持統天皇の夫天武天皇だ。皇子時代の名前は大海人皇子。日本書紀には厩戸皇子(聖徳太子)や物部氏と蘇我氏の対立なども載っておりました。昔読んだことのある「日本の歴史」という歴史学習漫画に載っていた聖徳太子のエピソードなどはなるほど、日本書紀の記述も大いに参考にされていたのだなあと確認することができました。蘇我馬子が厩戸皇子に訴える、「物部守屋は仏像を捨て、仏閣を焼き払い、僧や尼をむちでぶったのですぞ!(ばちーん、とムチで打つしぐさで)」「なんと……それは酷い」と二人が会話していた漫画のシーンを、ありありと思いだした高菜らいすでした。馬子の涙がアメリカンクラッカーのように描かれていた(笑) 意外と昔のことでも覚えているものですね。(^^ 

 非常に穿った見方かもしれませんけれど、と言いつつ、ホントはそうは思っていないのですけれど、つまり自信を持ってホンネを述べますと、時の権力者自身の正当性を示すためにある程度脚色して描かれたのではないかと思いながら読み進めました。この著書にも「そういうことが考えられる」と解説に書かれていましたしね。天武天皇もまた政争のど真ん中で動かざるを得なかった人物。兄や甥っ子と戦わなければならなかったしね。そうして自らの政権内外に、ひとまずその正当性を歴史という形で示しておかねばならぬ、そう考えたのかも。

 著書内でも述べられていたのですけれど、ヤマトタケルについての記述が、古事記と日本書紀では若干ニュアンスが変わっているそうです。古事記では、ヤマトタケルは父親に疎まれて悲しい死を遂げたことになっているのだけれど、日本書紀では父親はヤマトタケルの功績を認め、息子の死を深く悲しんだということになっているのだとか。

 高菜らいす、意外と完璧主義者なのでありまして、というか神経質なのでありまして、たとえば臣下に「歴史を編纂せよ!」と命じ、出来上がってきた2つの書物に差異があれば、気になって仕方なく夜も寝られずごはんも喉を通らず、「ねえ、臣下さんたち、お手数ですけれど、記述を統一しません?」と言い出しそう(笑) 天武天皇はそんなこと言わなかったのだろうか。「記述に差が出た? かまへんかまへん。細かいこと気にせんでええで」という意見だったのだろうか。「さすが国をおさめるほどの才覚を持った人、器がでかいわ」などと独りごちたんでありました。

 ところが。

 古事記と日本書紀の編纂を命じた天武天皇の崩御後、数十年後になってようやく編纂が終わったということをさきほど知りました。でへへ。お恥ずかしい(^^; 日本史の授業で習ったはずなのだけれど……蘇我馬子の涙のアメリカンクラッカーは憶えていたのに……このことはさっぱり忘れておりました。天武天皇の崩御は686年。古事記の成立は712年。日本書紀の成立は720年。そっかー。じゃあ心配しなくても良かった。さらに冷静になって考えるに、2つの書物をわざわざ編纂させたということは、古事記には古事記の、日本書紀には日本書紀の、それぞれに違った目的があったのだろうなとも考えられる。記述に差異があるのはひょっとしたら当然なのかもね。

 古事記も日本書紀も、面白い。どっちかというと古事記のほうが面白く感じた高菜らいすでした。神代の記述だけに、神がかったことがいっぱい出てくるしね。日本という文化において、神はいっぱい造られたのだなあ。話はそれますけれど、江戸時代なんてそこらのモノにまで何かが宿っているなんて考えることもした。古事記では自然現象から、神の吐瀉物、糞、尿、死骸の各部位に至るまで、様々なところから神が生まれたと描かれていた。想像力を刺激されることうけ合いです。

 「物書きであればギリシャ神話や聖書は必読だよ」と述べられているのを目にすることがあります。その意見にはたしかに賛同するところがあり、しかし、日本にもオモロイ古典がいっぱいあるではないか。灯台下暗し。古事記も必読書に加えて欲しい、そんな気持ちになりました。

 学生時代、つまり中学高校大学と、時間のあるときにもっとこういう本をガッツリ読んでみたらよかったなあと少しだけ後悔したりも。そのときには知らなかったのだ、この愉しみ。思い立ったが吉日などと申します、思い知ったが吉日、と考えて精進したいと思います。

 昔の人の、世界の切り取り方を学んでいます。
 ではでは。


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