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衣替えに失敗して風邪をひいた [水琴窟のウンディーネ]

かあかあがさごそ.jpg

 おひさー。

 ログインパスワードはもとより、自分のIDまで忘れてしまってログインするのが億劫になっておりました。特に大病を患うわけでもなく、そこそこ元気に過ごしておりました。このウェブログを見た時に、広告が表示されていることに気が付き、急遽更新した次第でございます。二ヶ月放ったらかしだと、広告が出る仕様になっているのかも。ふむふむ、勉強になりました。

 上の画像は先日早朝、コンビニエンスストアの前のゴミをあさっていたカラスさんです。人に大変馴れているようで、近づいても逃げませんでした。そこを激写。ほんとはもっと近づきたかったのだけれど、働き人高菜らいすには撮影の時間がありません、そそくさと職場へ向かったのであった。

 近況報告、とはいいましても、相変わらず植物と昆虫の撮影をして名前を調べるだけの毎日です。お仕事はまあまあがんばってる。少し風邪が長引いていて熱が出たり鼻水が止まらなかったり、鼻のかみすぎで鼻血が出たりと、まあこれも日常。なんら代わり映えのない日々を送っております。

 特筆すべきことといえば、今年は「トチノキ」のお花を見ることが出来たことでしょうか。それから部屋にアシダカグモが出てきまして、これを捕らえ、餌を与えている、ということ。アシダカグモはなんだかでっかくなるそうですね。いまからわくわくしております。物語を考えたり、アニメーションを見たり、作曲したり、絵を書いたり。文化的な生活を送らせていただいております。

 生まれてよかった。
 そんな感じー。


トチノキの花.jpg

軍曹ちゃん.jpg



追記:記事の最下部にインタレストマッチ広告というのが表示されるようになったのかも。無料でブログスペースを使わせてもらっているので、まあ広告くらいしかたないとは思いつつ、でもなんかやだなあ。どうにか消せないものかしらん。更新頻度が下がっているから広告表示されるようになったわけではないのかもしれませんです。


私、メジロ。席は空いてる? [水琴窟のウンディーネ]

紅梅01.JPG

 ほほほー。

 ここ最近冷え込む日が多い。足の指先が冷たくなっちゃって、靴下を二重にして履いたりしています。エアコンで部屋が暖かくなっても床まではなかなか、暖かくならないみたい。スリッパ+靴下+靴下。これでなんとか乗り切っています。ただちょっとお腹が痛くなることもあり、仕事以外では横になっていることが多いかも。横になって本を読んだり音楽を聴いたりね。暖かい日があれば植物園にでもロウバイを観に行きたいものだなあと思います。画像は数年前(去年だっけな?)に撮影した梅のお花です。梅、かわいい。メジロなどの小鳥もやってきて、冬なのに、そこだけとっても華やかになる。「梅」といえば「ウグイス」という取り合わせを聞いたこともありますけれど、メジロと梅のマッチング具合もなかなか素敵だと思います。(ウグイスはウグイスでまた野趣があって可愛らしい小鳥なのだけれども)

 お。

 そういえば先日知人から教えていただいたのですけれど、今年の4月から野鳥の飼育が原則禁止となるそうです。以前から野鳥の飼育はどんどん制限される方向で進んできた。そして唯一許可を取れば飼ってもいい小鳥がメジロちゃんだった。ところが昨年秋に環境省により鳥獣保護の基本方針が改定され、4月からは原則禁止になるらしいのです。(この「原則」ってのはどういうことなのだろう、と考えてみたのだけれど、今現在飼育している人でなんらかの理由で手放すことが困難な場合は認められるとか、そういう例外を考慮しての「原則禁止」なのかなあと推察したり。あとは「怪我をした野鳥を短期的に飼育することで保護する」という目的であれば、飼育しても良いと認められるとか、そういうことかなあ。ふふふ、4月以降もニュースを観察したいものだ)

 メジロの飼育禁止。なんだか寂しいような嬉しいような妙な気持ちです。そりゃ高菜らいすも時間とお金に余裕があればメジロを飼ってみたいと思ったことがあるし、今でもちょっと思っている。けれどもメジロはどうも数が減ってしまっているらしいのだ。違法なかすみ網による乱獲が原因であるとか。なんでメジロが乱獲されるかというと、「メジロが欲しい人」がいるからなんである。あと、メジロは昔から鳴き声を競わせるという行事があるらしく、これは「鳴き合わせ会」とよばれるそうなのだけれど、良い鳴き声のメジロは一匹数百万円で取引されるとか。ぎゃぼー。お高いんですね。

 しかたない、メジロがいなくなったら嫌だ。飼育はあきらめ、植物園や河原などでのメジロとの少しの出会いを楽しむことにしよう。そのように高菜らいすは考えるんでありました。(実家の庭にときどきメジロがやってきて、みかんなどを食べたりしているし、近所の河原の桜の木の間をメジロの群れが飛び交っているのを見たこともあるので、ほんとのところ、飼育したいとはほとんど思っていないのだけれどね(笑) 「メジロを飼育して手元で観察してみたい」という気持ちは理解できる、共感する、けれども飼育の原則禁止という行政の決定には従う。だってメジロがいなくなると困るから、ということなんであります)

 環境省、よくぞ仕事をしてくださいました。
 高菜らいす、国民の一人としてこのことを嬉しく思います。

 メジロに幸あれ!


真夏の炬燵でコンクラーヴェ [水琴窟のウンディーネ]

すがきやは名古屋の味.jpg

 何かこう、新しい想像が膨らみそうな。

 不思議な気持ちで過ごしています。やや、意味不明ですな。みなさまにご説明申し上げますと、「菅原道真」と「飛梅」をモチーフにした物語が高菜らいすの頭の中でむくむくと育っている昨今なのです。菅原道真は政争に敗れて大宰府に左遷されたと言われています。左遷されることになったとき、庭の梅の木に「私はもうここから去るけれど、梅の花よ、主がいないからって咲くのを忘れてはいけないよ。春になったら咲くんだよ」と歌を詠んだ。するとこの梅の木は道真を追いかけて太宰府まで飛んでついていった。主を追いかけたんだね。

 また藤原一族が流行病で相次いでなくなったときには、「菅公の祟りじゃ!」と都で噂されたとか。祟りだと解釈したということは、ひょっとしたら後ろめたい気持ちもあったのかなと思われる。都でバリバリの文官をしていた当時の道真は、藤原氏の勢威もなんのその、「間違ってる!」といさめたりもしていたそう。

 さらにウィキペディアによると、菅原氏というのは天穂日命(アメノホヒノミコト)の子孫であるという記述もある。日本神話に結び付けられるくらいには、勢いのあった一族だったのだろうと推察されます。

 そんな道真の血統や生き様を想像して、まずは高菜らいす脳内で「菅原道真」をモチーフにした男性キャラクターができあがる。その後、例の梅の木、この梅の木を擬人化させる、たとえば小さな可愛らしい童女を「梅の木の化身」として想像してみる。そしてこの二人が、左遷される旅の道中或いは左遷先で、言葉を交わす。そんな物語がどんどんと育ってきているのであります。

 華やかさは控えめな、素朴な舞台が似合うかもしれない。ただ素朴すぎると現代人である高菜らいすに対していまいちフックに乏しい気もする。補わなければ、と思いまして、たとえば「恐ろしく勝気」な童女というイメージを盛り込んではどうか。モチーフとした「飛梅」の話では道真を慕って追いかけた梅だったけれど、少し見方を変えて、梅の化身が存在する世界、現実界と合わせ鏡になっている異界にはルールがあって、梅はそのルールに従いしぶしぶ道真を追いかけざるを得なかった、という追加設定を考えたり。旅の道中、道真は物の怪である梅の童女を本気で斬ろうと思ったりすることも。ときには政争の一部始終を眺めていた梅の童女が問う、「なぜあのときああしなかったのか? 形勢が不利であるのにさらに不利になるような言動をするのか?」と問うのである。

 道真モチーフの男性キャラは強く答える。「自分には信念があって、それを曲げることができなかったからだ。いまでもこの信念は変わらない」と。梅の子は「ヒトってバカだなあ」と思う。なぜこんなにバカなのだろうと、その理由を少し考えたくなってしまう。興味が湧いてきたんだ。そうして、神の眷属と呼ぶにはあまりにも力を失ってしまったヒトの寿命は短く、出来ることも極めて少ないということに思い当たる。梅の木自身も、植物を統べる樹木の神<ククノチの神>の眷属の一員ではあるけれど、力はどんどん失われている。自分の一族もいつかはヒトのような儚い存在となってしまうのであろうか、と考えたりするんであった。

 二人の初めての出会いの場面は、やはりおセンチになっていた道真が歌を詠んだときがふさわしいのではないか。道真が梅の木に対して歌を詠んだときに、突然梅の化身に激しい言葉で突き返されるのだ。「お前がおらんでもこっちは新春になりゃ勝手に咲いたらぁ! 世界はお前を中心に回っとんのと違うで! なにセンチメンタルになっとんじゃい! キモイ! あんたのせいでわたしは賭けに負けたんじゃ! わたしはあんたを推しとったのに! なんで政争に負けてんねんこのくそたわけ! ボケ! あほ!」とすごまれるんである。うん、異界の生き物たちで賭けをしていて、それに負けた梅の木は罰ゲームとして現前することになり、左遷地についていくことになったというのはどうだろうか。異界の賭場には、藤の化身、桐の化身、萩の化身、などもいたのかも?

 などと、断片と呼べるくらいには妄想が広がるのであります。
 ただ思いついたことを紙にだらだらと書き留める。
 そんな昨今。誰かこんな物語を書いてはくれまいか。

 さておき今は現代物の物語を書いています。「食品製造工場で働く40代男性の物語」です。お仕事や働くことについて考えたくなる高菜らいすのようです。「なぜ若者はすぐに辞めてしまうのか。辛いのが仕事じゃないか。根性無いなあと思うけれど……ほんとにそれで片付けていいのだろうか? 若者のほうが実は正しく、理にかなっているのではないか?」と不安になってしまう男の人のお話を書いています。ゼリー工場なんだよ? むふふ。

 この頃ゼリーをよく食べています。



【追記】 画像が文章とまったく関係ないじゃん!(笑) スガキヤの袋ラーメンだよ。思い出補正も加わって、おいしいラーメンです。100円くらいで売っていますニャ。


ラジオ体操会場で反逆の狼煙 [水琴窟のウンディーネ]

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八重咲きのドクダミ.jpg

 台風一過。

 朝からあまりに清々しい風が高菜らいすを撫でるものだから、思わず一人旅に出てしまいそうでした。いつもの駅を通り過ぎ、大阪まで行き、海遊館でぼんやりしてこようかな、と本気で考えていた数分でした。まあでもそういうわけにはいかないので、いつもの駅で降りましたとも。お仕事熱心で責任感のある高菜らいすさん、あんたは偉い。社畜と呼ばれようとも、あんたがニッポンを支えているのだ。

 って、会社勤めしてなかった(^^;

 アカデミックなところに勤めている場合は、「会社勤め」と言わずになんというのだろうなあ、などという疑問はさておき、本日の二枚の画像は「ドクダミ」たんなのです。一枚目がスタンダードなドクダミ。二枚目の画像は八重咲きタイプのドクダミのようです。ドクダミにも八重咲きタイプが存在していたことに驚きました。

 調べていないので適当ではない言葉になってしまうかもしれませんけれど、おそらく本来雄しべであったものが変化して花びらのような形になったのではなかろうか。そういう変化は珍しいものではないのかも。高菜らいすにとって驚きの出会いとなりました。ドクダミにも八重咲きタイプがある。これは盲点だ。

 ドクダミは、園芸をされる方にとっては少し困った植物だと聞いたこともあります。なんぼでも生えてきよる。そして匂いがきついとか。「それさえなければドクダミも可愛らしいのに」とおっしゃっている方もいました。ほんとそうだよなー、と心の中で同意したのであります。

 ああしかし、台風一過。すばらしかった。


わて、腱鞘炎になってもたー [水琴窟のウンディーネ]

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 「モモイロヒルザキツキミソウ(桃色昼咲き月見草)」なのだ。

 可愛らしいお花なのだ。観賞用としてやってきたのだけれど、いまでは逸出して野生化していることもあるらしい。ツキミソウなのに、ヒルザキとは、これ如何に? けれども「まあお昼間にも月は出ていることがあるから、セーフ」というお言葉を戴きまして、なるほどと思った高菜らいすでした。可愛らしいお花なのだ。

 高菜らいす、数週間前から右手の平の様子がおかしく、本日はお医者さんに行ってまいりました。右手がどうもずっと熱く、腫れているような状態だったのです。「腱鞘炎かしら?」と思っていたら、その疑いが濃厚になりました。そうは言ってもキーボードを打つくらいで痛みが来るようなものではなく、なんとなく動かしづらいという程度だったのですけれどね。

 だがしかし、数日前からは痺れがやってきたのだ。

 これはヤバいかもしれない、怖いよ怖いよ。お医者さんへいくことにしました。自分で無理な方向に筋を伸ばしたりとなんちゃってマッサージを頻繁に行なっていたこともあまり良くなかったみたい。痛いときは無理せずにそっと安静にしておくのが良いそうです。お医者様に叱られました。素人のなんとやら、です(^^; 深く反省いたしました。今は湿布薬を貼っておりまして、ひんやり気持ちいいです。しびれは血行不良が慢性的であるために起こっている場合が多く、温めるのが良いそうです。

 みんなも無理しちゃダメだぞ☆彡

 さておき、この頃は青木玉さんという方の『こぼれ種』というエッセイ集を読んだりしております。著者の植物への関心を追体験できる面白い本です。とてもよくわかる気持ちが書かれているのだ。以前「植物を知らないことへの焦り」というものが高菜らいすにはあると申し上げたことがあると思います。その気持を知っているかのような文章がたくさんでてきます。「考えてもみれば果物をつける樹木は、その前に花を咲かせているはずであること」とか、「大島桜を見たくて大島まで行っちゃうこと」とか、青木玉さん、まるで高菜らいすのようだ!と思ってしまう始末。大変共感できるエッセイなのであります。しかし彼女が高菜らいすよりも優れているところは、「まあそれでも焦らずゆったりといこう」という態度が感じられるところでしょうか。素晴らしい。良い時期に良い本に巡り会えたように思います。お天道様は、高菜らいすを見ているのかもあなあと思ってしまいました。

 どうも。

 ちなみに青木玉さんは、作家の幸田文さんという方の一人娘らしい。幸田文さんは幸田露伴さんという方の娘らしい。どちらももしかしたら有名な方なのかもだけれど、高菜らいす寡聞にして詳しく知らない。今度、お母上やお祖父様の著作にも当たってみようと思います。(ふむふむ。幸田露伴さんには『いさなとり』という物語があるみたいだ。捕鯨が出てくるお話なのかなあ)

 あと、これは別にどうということでもないのですけれど、かつて高菜らいすが「すばらしい本であった」と述べた苅谷剛彦さん著作『知的複眼思考法』の単行本が古本屋に並んでおりまして、思わず購入してしまいました。すでに文庫版を持っているというのに。ものすごくきれいな状態だったのでついつい買ってしまった(笑) 機会があれば誰かに差し上げればいいよね、と言い聞かせて購入しました。105円でした。高菜らいすの悪い癖である「何事も、答えがどこかに用意されている」という思考自体を考え直すきっかけとなった本のひとつであります。大学生にも人気の本らしく、毎年「大学に入ったら読むべき本」的なリストに加えられていることが多いのだとか。なるほど納得です。

 そういえばこないだ読んだ『打たれ強くなるための読書術』(東郷雄二著)には、「では「知的に打たれ強い」というのはどういうことだろうか。それはいろいろなことについて知識を豊富に持っていて、議論で常に相手を言い負かすということだろうか。いや、そうではない。それはひと言で言うと、「正解のない世界に耐える」ということであり、ビター・チョコレートのように苦み走った大人の態度なのだ」と書かれていた。正解のない世界に耐える。うふふ。なんだかカッコイイなあと思ったものでした。

 良い買い物をしたー。


集え! イーハトーヴ・オンライン [水琴窟のウンディーネ]

セイヨウアジサイ.jpg
アジサイ(アナベル).jpg
ガクアジサイかな.jpg

 アジサイの季節ですよー。

 いまだに「ガクアジサイ」と「ヤマアジサイ」と「セイヨウアジサイ」のどれがどれだったかよくわからなくなることのある高菜らいすです。一枚目の画像がいわゆる「セイヨウアジサイ」と呼ばれるものかと思いきや、花びらの形がなんだか違っているような気がする。二枚目も「セイヨウアジサイ」なのかな。ネットでひたすら画像検索を続けましたところ、「アナベル」と呼ばれる品種のものにそっくりでした。そして三枚目が「ガクアジサイ」かな……。いまいち断定するのが不安なのでして、仮に高菜らいすと同じようにアジサイの詳しい名前が知りたくてネット検索した末にここへたどり着いた方がいらっしゃいましたら、どうかお気をつけください。間違っている可能性が高いです。次の機会には図書館へ行って「THE・あじさい」的な専門図鑑を探してみたいと思います。

 一時期だけの開花なのでいつも詳しく調べることを忘れてしまう、などと思っていたのですけれど、たった今考えを改めました。他のお花も、一時期だけのお花だよね。それではなぜアジサイについて高菜らいすはあまり調べたりしようとしなかったのか。それはたぶん、雨がふっている季節だから。そのような理由が思い付きました。雨ふりゃ人間傘をさす。だからデジカメ構えにくい。そんな理由なのかもしれません。なんともくだらない理由でした(笑) これからあと何度この季節を堪能できるのか。そう考えると傘をさしながらでもデジカメ構えちゃうんだー。ま、そんなアジサイ画像なのでした。

 あと、葉っぱは食べてはいけません。毒だからね。毎年というわけでもないのですけれど、食堂で供されたアジサイの葉を食べてしまい病院送りになる方々がいらっしゃった、というニュースを見かけます。アジサイの葉を見かけるといつもそのことを思い出し、暗い気持ちになるんであります。そしてアジサイの葉っぱのあの肉厚な様子に毒々しさを感じるのであります。キレイなバラにはトゲがある。キレイなアジサイには毒がある。よく覚えておくように。ここ、テストに出るぞー。

 リピートアフターミー。

 さておき6月になりました。最高気温が30℃に近い日がやってきています。高菜らいすの部屋はたぶんお昼間は30℃を越していると予想されます。一番上の階で閉めっぱなしだからね。そろそろエアコン使用の季節となってまいりました。去年はやせ我慢してエアコンをあまり使わない日々を試しに送ってみたのですけれど、夏の終わりかけの頃にようやく得た教訓は「暑い時はガマンしないほうが良い。電気代がちょっと高くなるくらいなんともない。その分、涼をとりげんきに、仕事頑張ればいいではないか」というものでした。

 ただ、なんとなく節電ムードの昨今であります。

 熱中症で倒れるくらいまでは、節電頑張らなくても、いいよね? と、誰かに問いかけたくなるんでありました。気象庁の統計局のウェブサイトで去年の6月のお天気データなどを眺めるに、そろそろ30℃を越す日がやってきそうです。みなさまも、水分摂取などを忘れず、どうか快適に過ごされるよう、お気をつけください。

 それではまた。ばいばいきん。



【追記】 しかしそれにしてもアジサイの花期は限られている気がしてきたました。たとえばカタバミ。カタバミたちは春先から冬の直前まで、至る所にいっぱい咲いている。視界に入る機会がアジサイと比べるとやっぱり多いのかも。「傘をさしているから」という理由だけでもないような気がします。


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