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未来型万能お茶汲みロボ107号 [いつも渡り廊下シルフ]

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 もう3月だ。2月はウェブログ更新するの忘れてたー。

 お久しぶりです。高菜らいすは枯葉の下で越冬するテントウムシの如く生きております。みなさまもお元気でしょうか。法事のために実家へ帰省したり、熱の上がる風邪を引いたり、左足の小指周辺がしもやけ気味になって涙を流したりして過ごしておりました。靴下二重履きは危険だ。しもやけになる。

 そろそろ春が近づいて参りました。またコブシやモクレンの季節が訪れますね。いまからとても楽しみです。昆虫もまた顔を見せるようになるのだろうな。春は出会いの季節。新しい出会いは緊張するので高菜らいす苦手分野ではありますけれど、最初のそこだけを乗り切れば楽しい気分になれるのです。それはたとえばPCアプリケーションソフトでも同じなのではないでしょうか。文章を書くソフト、ゲームを作るソフト、音楽を作るソフト、絵を描くソフトなどなど。

 最初は使い方がわからない。面倒くさい、自分がやりたい事ができない、もうやーめた。となることもあるとある場所で聞きました。しかしそこは少し辛抱してググればいいのですよググれば。そしたらすぐに答えが見つかる。同じ箇所で詰まってしまった人が、有益な情報を載せてくれていることがけっこうある。一度覚えたソフトの操作は続けている限り忘れることはありません。一歩ずつ一歩ずつ、進めばいいのです。ほんの少しだけ、ほんの少しだけ、辛抱して取り組む、これをたーくさん繰り返せばよいのです。

 思えば遠くへ来たものだ。

 そう思えたときあなたはすでにそのソフトのエキスパートになっているでしょう。すごいね! む、なんだかちょっとだけ自己啓発本みたいになってきた。読み過ぎでしょうか。実家へ帰る車中でも駅の売店で暇つぶしにそれっぽい本を買って読んでみたりしました。「同意する」「ここは考察が足らないな」「これは言い過ぎだし、ごまかしだ」などなど、本に向かってつぶやいている人が電車に乗っていたらそれはたぶん高菜らいすです。そっとしておいてください。

 まあ春を楽しみたい、ということです。

 さておき画像はPILOTから販売されているハイテックCコレトというペンです。替芯が別売りされていて、自分で様々な色を組み合わせて使える万能ペンなのです。色の種類、ほんとにたくさんある。高菜らいすのヨワヨワ目玉では「これとこれ、おんなじ色なんじゃね?」と識別できないくらいの微妙な色合いのものも見かけました。「自分で組み合わせた自分だけのペン」を作れる。ただの文房具なのに、「自分で何かカスタマイズできる」というだけでペンを使うのがとても楽しくなってしまいます。

 ふしぎ。

 いろいろ組み合わせてみた結果、たどり着くのはよくある多色ボールペンと同じ色の組み合わせになるであろうことは予想でき、「じゃあ別に自分で組み合わせる意味ないじゃん」と言われそうですけれども。それでも「自分の意思が介在した文房具」というところで、ゲーム感覚で楽しめてしまうのだよね。面白い商品が世の中にあるものだなあと思います。

 今年度も残すところ一ヶ月となりました。
 悔いなきよう、がんばろうと思う。


私、メジロ。席は空いてる? [水琴窟のウンディーネ]

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 ほほほー。

 ここ最近冷え込む日が多い。足の指先が冷たくなっちゃって、靴下を二重にして履いたりしています。エアコンで部屋が暖かくなっても床まではなかなか、暖かくならないみたい。スリッパ+靴下+靴下。これでなんとか乗り切っています。ただちょっとお腹が痛くなることもあり、仕事以外では横になっていることが多いかも。横になって本を読んだり音楽を聴いたりね。暖かい日があれば植物園にでもロウバイを観に行きたいものだなあと思います。画像は数年前(去年だっけな?)に撮影した梅のお花です。梅、かわいい。メジロなどの小鳥もやってきて、冬なのに、そこだけとっても華やかになる。「梅」といえば「ウグイス」という取り合わせを聞いたこともありますけれど、メジロと梅のマッチング具合もなかなか素敵だと思います。(ウグイスはウグイスでまた野趣があって可愛らしい小鳥なのだけれども)

 お。

 そういえば先日知人から教えていただいたのですけれど、今年の4月から野鳥の飼育が原則禁止となるそうです。以前から野鳥の飼育はどんどん制限される方向で進んできた。そして唯一許可を取れば飼ってもいい小鳥がメジロちゃんだった。ところが昨年秋に環境省により鳥獣保護の基本方針が改定され、4月からは原則禁止になるらしいのです。(この「原則」ってのはどういうことなのだろう、と考えてみたのだけれど、今現在飼育している人でなんらかの理由で手放すことが困難な場合は認められるとか、そういう例外を考慮しての「原則禁止」なのかなあと推察したり。あとは「怪我をした野鳥を短期的に飼育することで保護する」という目的であれば、飼育しても良いと認められるとか、そういうことかなあ。ふふふ、4月以降もニュースを観察したいものだ)

 メジロの飼育禁止。なんだか寂しいような嬉しいような妙な気持ちです。そりゃ高菜らいすも時間とお金に余裕があればメジロを飼ってみたいと思ったことがあるし、今でもちょっと思っている。けれどもメジロはどうも数が減ってしまっているらしいのだ。違法なかすみ網による乱獲が原因であるとか。なんでメジロが乱獲されるかというと、「メジロが欲しい人」がいるからなんである。あと、メジロは昔から鳴き声を競わせるという行事があるらしく、これは「鳴き合わせ会」とよばれるそうなのだけれど、良い鳴き声のメジロは一匹数百万円で取引されるとか。ぎゃぼー。お高いんですね。

 しかたない、メジロがいなくなったら嫌だ。飼育はあきらめ、植物園や河原などでのメジロとの少しの出会いを楽しむことにしよう。そのように高菜らいすは考えるんでありました。(実家の庭にときどきメジロがやってきて、みかんなどを食べたりしているし、近所の河原の桜の木の間をメジロの群れが飛び交っているのを見たこともあるので、ほんとのところ、飼育したいとはほとんど思っていないのだけれどね(笑) 「メジロを飼育して手元で観察してみたい」という気持ちは理解できる、共感する、けれども飼育の原則禁止という行政の決定には従う。だってメジロがいなくなると困るから、ということなんであります)

 環境省、よくぞ仕事をしてくださいました。
 高菜らいす、国民の一人としてこのことを嬉しく思います。

 メジロに幸あれ!


ついつい黒豆を食べ過ぎてしまう [ナギナギ石切ジャンプ]

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 お正月気分がやっと覚めたよ。

 ちと遅いかの? 「あけましておめでとう」というご挨拶も申し上げておりませんでしたね。やあみなさん、あけおめことよろ。今年は「龍」の年だそうですよ。滝壺から、雷鳴と共に天へと登る、そんなイメージで頑張っちゃいなよYOU! とまあそんな感じで挨拶とさせていただきたく。高菜もきっと頑張る。

 近頃は「モノを捨てる」ことをテーマにお部屋の掃除をしたり、本を読んだり、アニメを観たり、仕事をしたりして過ごしています。要らないお洋服やサンダルを捨てる。これがなかなか難しく、思い切りが必要なんである。いつかどこかで、著名お掃除アドバイザーさんが「掃除は祭りです!」とおっしゃったそうな。なるほど、勢いでどわわーっとやってしまうのが良いのだろう、そう思いつつ。週に二度ある燃えるゴミの日に、「この日はこれを捨てる」「別のこの日はあれを捨てる」とわざわざ紙に書いたりして、粛々と処分する日々でございます。

 読書はまあ、いろいろ読んだりしているのですけれど、『スピンク日記』(町田康著)が面白かったよ。町田さん、二匹のプードルを飼っているそうで、その一匹がスピンクという名前なのだ。スピンクが語る、という形式でもって綴られるエッセイ本とでも言いましょうか。とても面白い本でした。一人で読みながら、ときおりくすくす笑えた、そんな本でした。あと、プードルという犬種にはいくつかあって、スタンダードプードルってのはけっこう大きい犬種なのですね。初めて知りました。それにつけても高菜らいすは町田康氏の文章が好きすぎて困る。新刊が愉しみな作家さんです。と、前にも申し上げたかもしれない。

 それから山川出版から出ている『もういちど読む山川世界史』という本。これは世界史の概説をささっと振り返ることの出来る本のようでした。中国の官吏登用制度「科挙」や、大航海時代からあとのイギリスによる「三角貿易」のことなど、興味の出る事柄もあり、脳内にある目次に新たな項目が加わった感じがいたします。

 それからあとは、んー、そうだな、短い小説も何冊か。今更申し上げるのもなんですけれど、高菜らいすはけっこう権威主義的なところがありまして、それに釣られてか、半年に一度発表される芥川賞・直木賞の発表を楽しみにしていたりします。そうしてそこであげられた作品を手にとってみたり。同じ作家さんでも、受賞作品よりもそうではない作品のほうが高菜らいすにとっては面白かったりして、なんだか困惑することもあるのですけれどね(^^; そんな目的で持って選んだ小説を読んだりもしました。

 そういえば去年は『罪と罰』を読んでみたい、などと思っていたのだけれど、結局果たせず。今年に持ち越しの宿題となりました。図書館に行って手に取るものの「うーん、分厚い。ゆったりと時間のとれるときに、また」と本棚に返してしまうんであった。ただ、読めない分量では無いはずなのだよね。時間なんて土曜日曜を目一杯使えばたぶん読めてしまうだろうし。いつかの休日に、なるべく近いうちに、頭が覚えているうちに、ページを開いてみたいと思います。みんなが知ってる傑作は本当に傑作なの? むふふ。有名な作品に触れる愉しみのひとつに「他の人の感想を聞く」というものもあるような気がしてきた高菜らいす、そろそろお肌の曲がり角を迎えておりまする。作品を知っている人が多いぶん、ネット上にも感想がたくさん載っているんだー。それを夜な夜な探すのがわりと面白いんであります。

 アニメといえば、去年末に最終回を迎えたアニメ『輪るピングドラム』が面白かったよ。これについてはまた日をあらためて記事に感想を残しておきたい。あとは『日常』というアニメがなんだか可愛らしく可笑しくて良かったかも。ハカセと呼ばれる子供が出てくるのだけれども、これがとっても可愛いのだ。それから『Fate/zero』というのもぶっとんだ設定で面白い。これはまだ終わっていないようで、4月から続きが始まるそうです。『Fate/zero』の主人公クラスの人物に、セイバーと呼ばれる剣士がいらっしゃるのですけれど、これがなんと前世がアーサー王の「女の子」なんである。アーサー王を女性にしてしまえるこのぶっ飛び具合が、なんというか、日本のサブカルチャー業界の凄みというか懐の深さと言うか……ブルブル震えたんでありました。

 お仕事は……論文のお手伝いやら、レポートの赤ペン先生をさせてもらえたりと、わくわくしつつ、けっこう悩みながら進めております。公平性を守りつつ、誰かを評価するってのは、意外と大変な作業です。創作活動にフィードバックさせられればいいな、創作活動が仕事に生かせればいいな、などなどぼんやり思う今日この頃であります。

 そうそう、物語を書き始めたおかげで、間違いなく高菜らいすの文章力と読解力は上がっているように感じます。思えば前のウェブログではアホみたいにキーボードを打っていた気がします。いまでは一ヶ月に一度くらいの更新になってしまいましたけれど(^^; やってみるものですね。かつてのウェブログを読み返してみると「なんじゃこりゃ……」と赤面してしまうことがほとんどなのですけれど、まああれも無駄にはなっていない、そのように思えたんであります。

 1月もそろそろ終盤に差し掛かって参りました。
 風邪など引かないように気をつけて、乗り切りたいと思います。


来年は龍の肉を食べてみたい [いつも渡り廊下シルフ]

 こんにちは!

 ご無沙汰でございました。11月末から本日までながーい、ながーい、風邪を引いておりまして、お仕事に注力するあまりこちらでご挨拶をするのを忘れておりました。みなさま今年も元気でいられたでしょうか。高菜らいす自身は、今年を総括するには現在時間がなく、というのはあと数分で家を出るからでして、というのは、実家に寄生、もとい、帰省するからなのでありまして、3月の地震からあっというまに時間が過ぎ、「マヤの予言はマジもんかもしれん」とびくびくするくらい大きな出来事のあった今年だった、くらいにしか、まだ思えない状態でございます。あと、年末ずっと風邪を引いていたのが大変つらかった。

 なんとか乗り切り、あとは実家でおせち料理を堪能するだけという状態になりました。母上、父上、兄上に愛想を振りまくという重大な仕事もあります。携帯電話の機種変更もしたい。7月に変更したばかりなのですけれど、この携帯電話がいまいち使いにくいのです。写真をとって、PCにぽい、という作業がものすごくやりづらい。それからボタンが押しにくい。携帯電話ショップで、本物よりも軽いダミーの見本が置いてありますけれど、あれはあかんで。使い勝手がまったく反映されておらぬ。今度機種変更するときには「四の五の言わずに実機をよこせ!」と店員さんに迫ってやろうかと考えています。

 さておき。

 今年も仲良くしていただいた方々、みなさま、ありがとうございました。
 良いお年をお迎えください。来年もよろしく。

 ではでは。


たてがみのホコリを、パサパサ [ナギナギ石切ジャンプ]

 お掃除の季節がやってまいりました。

 年末に向けての大掃除を始めました。手始めにエアコンのお掃除から。夏場に冷房として使っていた汚れがたまっていた。窓の周りのホコリもトルトル。我が家にはハエトリグモが夜な夜な闊歩しておりまして、彼らは飛び移る際に落下防止策として糸を出す。それがそのまま残り、そこへ部屋を舞っていたホコリ等がつく。こうして人の目にも蜘蛛の糸があることが知覚されるわけです。よくできているなあ。

 そういえば一ヶ月ほど前にハンディクリーナーを購入したんであります。掃除好きなくせに、掃除機を持っていなかったと驚かれるかもしれない。高菜らいすは拭き掃除が好きなんでありまして、掃除機の出番がなく、持っていなかったんである。かつてはバッテリー充電式の掃除機を使ったりもしてみたのですけれど、いまいち吸引力に難があり、「掃除機使えねえなあ」などと思っていた。今回購入したのはバッテリー充電式ではなく、コードで直接電力を供給するタイプのものです。

 すごい吸引力!

 大満足の高菜らいす、年末の大掃除が楽しみで仕方ありませんでした。いよいよ12月も目前です。そろそろお掃除を始めてみようかと思い立ち今に至る。さあじゃんじゃんいらないものを捨てるぞと息巻いております。「料理上手」「マッサージ上手」がもてはやされる昨今、ふふふ、「お掃除上手」もきっともてはやされるに違いない、そんな予感がひしひしと。

 急に寒くなりました。
 みなさま身体を冷やさぬよう、お気をつけ下さいませ。


秋来ぬとさやかに見えねども [いつも渡り廊下シルフ]

 ご無沙汰ー。

 皆様いかがお過ごしでしょうか。日中暑くなったり、朝方には冷え込んだり。秋らしいといえば秋らしいのかもしれません。植物や昆虫などはだんだんと冬への支度を始めているみたいです。このあいだ電信柱に巣を作ったアシナガバチの集団に出会ったりもしました。電柱の中は温かいのだろうな。今年は実家の雨戸を収納する場所に、アシナガバチが巣を作ってしまったらしく、てんやわんやの母上と父上だったそうです。台風で、巣はダメになったのか、その後は姿を見なくなったとか。驚かさなければ刺したりはしない、と聞いていてわかってはいるものの、何で驚かせてしまうか予想がつかない、できれば少し離れた場所に巣作りしてほしい、そんなわがままを思ってしまうんでありました。

 さておき朝の散歩で見かけたカメムシなどの画像を。
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 カメムシといえばこれ、と言っても過言ではない緑色のカメムシ。コンビニエンスストアの壁に張り付いていました。緑色のカメムシにも幾つか種類があるようで、「アオクサカメムシ」というのが該当するように思います。でも、カメムシには幼生のとかもいるようで、見分けるのに自信がありません。間違っている可能性があります。フーっと息を吹きかけてもまったく動じない、壁にがっしり張り付いている奴でした。

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 この子は小さめのカメムシさん。写真撮影が下手くそすぎていまいちな画像になってしまいましたけれど、「マルカメムシ」というのに似ていました。スーパーマーケットの駐輪場でガラス窓に張り付いていました。いつも持ち歩いているプラスティックの捕獲ケースに入れて、持って帰ってきちゃいました。

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 3つ目最後の画像は、「クサギカメムシ」に間違い有りません。きっと。たぶん。2cm近くあるカメムシで、その大きさに少しびっくり。ぶーんと羽を広げて飛んできたところを捕獲しました。プラケースを持っていなかったので、急遽A4の用紙で筒を作りまして、そこへ誘い込み、持ち帰って来ました。しかし家でじっくり見てみると、後ろ足の一本が欠けてしまっているご様子。捕獲の際にちぎってしまったのかもしれない、すまないことをした。

 このクサギカメムシ、どうやらめちゃくちゃ臭いらしい。カメムシといえば臭いニオイで身を守る、そのイメージはあったものの、かなり臭いニオイを出すのがこのクサギカメムシさんだったようなのです。家に持ち帰るなんて高菜らいす、恐ろしいことをしてしまったものです。幸い高菜らいすを敵だとは認識していなかったようで、特別臭いに悩まされることはありませんでした。命拾いを致しました。

 カメムシも越冬の準備を始めているようだ。温かい人家に近づいてきているみたい。ニオイのイメージが先行してしまってどうも触れたくない昆虫ではありますけれど、改めてその形をじっくりと眺めてみれば、とてもユニークなカタチをしていることに気が付きました。また足取りがたいへんしっかりしている。ちょこちょこ動かない。一歩一歩慎重に歩く。少しロボットみたいにも見えてきて、カメムシへのイメージが変化した高菜らいす、2011年の秋となりました。

 臭いのは、イヤだけれどね。


伝説の匠の使っていた伝説の工具 [フェニックス中華鍋じゃーん]

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 ノギスを買った。

 ノギスとは画像にあるようなカタチをした測定工具のひとつです。目盛りが付いていて、副尺(バーニヤ)を使えば、円柱の直径やパイプ管の内径などが0.05mm単位で測れてしまう文明の利器であります。0.01mm単位で測定できるものもあるとか。さらに近年では目盛り部分がデジタル表示になっているものなどもあるそうです。高菜らいすはすぐにノギスを使うような状況になく、税込でも1,000円弱で買える100mmタイプの一番小さいノギスをゲットしました。

 かれこれ2年半以上も前からの「宿題」でありました。

 なんでノギスを買ったのかといいますと、以前NHKの派遣切りドキュメンタリを見たことがその理由になると思われます。その番組ではリーマンショックだったかサブプライム問題だったかで需要が落ち込み、派遣社員の方々の仕事がなくなっていく様子が撮影されていました。例に上がっていた北海道出身の30歳の男性もその一人で、これまで派遣会社で荷物の運搬という単純作業くらいしかしたことがなく、手に職がついていない、そのせいで再就職がなかなかできない、という内容の番組でした。

 男性はある会社に面接を受けにいく。面接後のインタビューにて「不合格」であったことをすぐに伝えていた。「ノギスは使えますか?」と面接官に尋ねられたとか。そして、ノギスなんて使ったことのない彼であり、不採用となった。男性曰く「端的に言えば、経験不足ということ」らしい。基本的な測定工具であるノギスが使えない人では困る、ということらしいのだ。「社会の求めるものと自分がやってきたことは、やっぱりちょっと違うな」と男性が述べるところでインタビューは締められていた。

 さて。

 この番組をたまたま見ていた知人がいらっしゃいまして、その方とお話をする機会がありました。その知人は例のノギスのシーンに刺激を受けられたのでしょうか、「思わずノギス買っちゃった☆」とおっしゃっていた。高菜らいすはたいへん驚きました。「どうすればこの人は仕事を見つけられるんだろうなあ」とぼんやりとしか考えていなかった高菜らいす。しかし知人は「自身が同じ状況になった場合のことも想定してみたら……ノギス買って使ってみようっと!」となったんである。もちろん工具一般が好きである、という個人的嗜好もあったのかもしれない。高菜らいすは工具にそこはかとなく憧れるところがありまして、使わないのにボルトやナットをついつい買ってしまう、電動ドライバーが欲しくなる、ということがあります。だから気持ちもなんとなくわかる。

 しかし、番組放送直後にノギスを買いに走ってしまうその「行動力」にたいへん驚きまして、そして生来負けず嫌いであるところの高菜らいすも「買わなければ」と思って2年半経っていたのでありまして、負けず嫌いである一方でまた怠け癖、面倒くさがり屋、腰が重い、という性質も持っている高菜らいすだったんである。ようやく、ようやく、ノギスを購入したんであります。

 足の親指や鼻の穴を測ってみたりしました(笑)
 工作を頻繁にするわけではないので、やはり使い道がない(^^;

 ちなみに「ノギス」についての説明を簡単に申し上げておきます。ウィキペディアによると「ノギス」というのは本来「ノニウス」と呼ばれるもので、それが日本にて訛った名称なのだそうです。ノニウスは綴りを「nonius」と書きます。「ポルトガルの数学者ペドロ・ヌネシュ、ラテン語表記ペトルス・ノニウス(Petrus Nonius) がノギスに目盛りを付けたといわれている」のだそうです。ノギスの「ギ」は一体どこからやってきたのか? 謎です(笑)

 さらに、ノギスに副尺を加えて補助的機能を追加したのがフランス人のピエール・バーニヤ(Pierre Vernier) さんで、彼の名前から副尺部分は「バーニヤ」と呼ばれるようになりました。さらにさらに、その「補助機能」に注目されたのか、ロケットエンジンなどの補助機能を果たすバーニヤも、ここからきている名称なのだそうです。

 自身の名前が死後もなお後世に伝わる、それはたいへんな名誉なのでありまして、高菜らいす羨ましく思ったりしました。(汚名や悪名は残したくないですけれども(^^;) 死んだ後も忘れられたくない。それはなにも高菜らいすだけが思うことではないはず、わりと多くの人が思うんではないか。そんな欲望は、人にはけっこう備わっているんではないか。そんなことをぼんやりと考えました。

 で、仮にバーニヤを考えたのが高菜らいすだったら、この副尺部分は「タカナ」と呼ばれることになるよね。地域や地方によって、ノニウスがノギスに変化したように、「タカナ」が「タカーニャ」とか「タケイナー」とか呼ばれるようになるんではなかろうか。某日本の宇宙開発機構の設計室にて、「いや、ここはタケイナーを付けないと姿勢制御に不安が残ります」「しかし、タケイナーを付けるとなると予算が足りなくなる」という会話が繰り広げられることになったのではないか。なかなか煮詰まらない議論に、設計室の室長が立ち上がりぼそっと言う、「タケイナーは、たけえなあ(高いなあ)」

 ダジャレ文化にまで影響を及ぼすことができたかもしれない。

 話がそれた。ノギスの説明でした。下の写真をご覧あれ。

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 購入したノギスのパッケージの裏側にあった説明書きです。要約すると、

 本尺目盛と副尺(バーニヤ)目盛をプラスして測定値を読みます。
 ①バーニヤの0点と本尺の目盛の対応箇所を荒読みします。
 ②バーニヤ目盛を本尺の目盛と合った所で読み取ります。
 ③①+②=測定値、となります。

 以上。たったこれだけでノギスは使えるようになるのです。「外側測定」「内側測定」「深さ測定」「段差測定」などができるのですけれど、それらは図りたい対象物にノギスのどの部分を当てるかだけが違うのであって、基本的にはこの目盛り部分を読むことが出来るか、それだけの工具なのです。

 誤解を恐れずに申し上げますと、「使える使えない」という言葉を用いるのは適当ではなく「知っているか知らないか」というレベルの話、だたそれだけのような気がしてきます。高菜らいすにはそのように思えてなりません。そしてそれだけのことが採用不採用に左右するのであれば……知っておくに越したことはないのではないか。知っているか知らないか=知識、と置き換えますと、知識はどれだけ持っていても重たくないように思います。話を飛躍させると、さらに「誰かに教える」という段になっても、知識ってのはどれだけ伝えても減ることがない、無限の資源のように思えてなりません。

 ドキュメンタリ番組に出ていた男性はその後仕事が見つかったのだろうか。見つかっていればいいけれど。或いはノギスを使えるようになった彼になっていれば、なんだか望ましいのにな、と思ったりします。


【追記】 記事内で触れたNHKの番組を見ていた方の、ネット上での感想なども探してみました。ありました。面接へ行く前の履歴書の志望動機欄が白紙であったこと、面接に普段着で向っていること(スーツで行かなくていいの?)など、いろいろと突っ込まれていました。さらに「企業側は、体よく不採用にするために、ノギスのことを持ちだしただけで、ノギスだけが原因ではないと思う」という意見も。「なるほど、採用担当さんは何枚もウワテなのだなあ」と高菜らいすコクリコクリ肯いたんであります。

「ところでノギスは使えますか?」「はい!」と答えられるパターン、「使ったことはありませんが、すぐに覚えます!」と答えるパターンなどを何種類かを想像してみたり。元気にハキハキと、それだけでうまくいく可能性は高まるんではないかと考える、学生気分の抜けない高菜らいすであります。どうかにゃ?

 ノギスの使い方なんて「知っているか知らないかだけである」などと本文中で述べましたけれど、ひょっとすると「定規を使って何かを測る」ことや「単位を考えて、本尺と副尺の目盛りを足し算する」という行為に各個人でハードルの高さに違いがあるのか?とまで考えてみました。これらはおそらく小学校で習う事柄のように思います。嗚呼、義務教育ってありがたい……。


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