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高菜亭はここにいるよ [いつも渡り廊下シルフ]

ニジュウヤホシテントウ二匹.jpg

 お久しぶりです。

 台風が何個かやってきて、蝉の声が秋の虫の声に変わり、アイスコーヒーからホットコーヒーを飲むようになったりと、季節が移り変わっていくのを感じるここ一ヶ月でした。その間に高菜らいすが何をやっていたのかというと……特に何もしておりませんでした。読書と仕事とお部屋の掃除。たまにホームセンターでボルトやナット、電動工具などに憧れのまなざしを向けることはありまして、金尺や直尺を購入してみたり。使う予定がないのが困ったものなのですけれど。現在は「ノギス」を買うことを検討しています。人差し指の直径を、測りたい。

 早朝の散歩もその行動様式が変化して参りました。初夏から晩夏にかけては朝の二時間ほどを植物観察に費やしていたのですけれど、一度風邪を患ってからは牛丼チェーン店の「なか卯」、それからマクドナルド、あるいは食事のできるコーナーのあるコンビニエンスストアローソンなどで読書する機会が増えてきました。早朝は寒いこともありましたしね。ホットコーヒーを飲みながら、iPodで音楽を聴きながら、読書をしたり。そのような朝の散歩となっています。

 ただまあそれにしても、あまり体調が芳しくない。以前お伝えした「腱鞘炎」はほぼ完治したように思います。腱鞘炎は癖になってしまうことがある、とギターを弾いていたときに教えてもらったことがありました。知人がギター教室に通っておりまして、その先生が腱鞘炎で演奏家生命を絶たれてしまったのだとか。さらにはガンを患っており、練習中に時々「ちょ、ちょっと待っててくれ」と奥に引き返し、お薬をのんでいらしたとか。奥でお薬を飲んでいるときにも生徒さんの調弦の音はしっかりと聞いていらして、「おい、ちょっと、高い、もっと丁寧に調弦しろ」と苦しそうな声が聞こえてきて、知人は自分のギターの調弦どころではなかったと述べていました。

 話がそれた。

 その腱鞘炎も収まりました。なんとなく違和感はあるのだけれど、生活に支障はまったくない。少しだけ恐れているのは以前のように、猿のようにギターの練習をすることはできないかもしれない、ということです。ま、アホほど練習する機会はもうないと思いますけれど。有志数人でわざわざ合宿場を個人的に借り、朝九時から昼の十二時まで練習、会話をすることもなく合宿場のカレーライスを黙々と食べ、またお昼の十三時から練習、あいだに十五分休憩をはさみ、夜の十八時まで練習、晩ご飯も合宿場で提供されるいまいち美味しくないすき焼き風鍋を、だれとも会話することなく黙々と食べる。その後二十二時ごろまで練習をし、疲れはてて寝る。

 あれはいったい、なんだったのか。

 そだ。アップした画像は近所の図書館の駐輪所で撮影したものです。おそらくニジュウヤホシテントウだと思われる。アブラムシを食べるタイプのテントウムシではなく、葉を食べるタイプ、つまり人間からすると「害虫」とみなされるタイプのテントウムシです。にょきにょき伸びていた葉っぱがかじられていました。かじられている、つまりなにか虫がいる!と連想が働くようになった自分を少し誇らしく思いながら、ほんとうに虫がいて、驚きもした出来事でした。

 かじられた葉といえば、ちょっと前に「オオスカシバ」という生き物がいることを知りました。どこかで出会ったことがあったのだけれど、名前がしっかりと結びついてはいなかった生き物です。ハチドリのようにホバリングの出来る昆虫だそうで、その幼虫はクチナシの葉を食べるとか。高菜らいすの秘密の昆虫観察場にてクチナシの花が大量に咲く場所があり、なるほど、そこに幼虫がいるかもしれないと探してみたのです。葉がかじられた跡はあった。でも、幼虫はいなかった。すでに土中に潜り、蛹になり、飛び立っていったのかもしれません。或いは土中に隠れていたのか。

 かじられた葉っぱにも、いろんな情報が詰まっているのだな。
 そんなことを知れた今年の夏でした。

 さてさて。本の感想などもメモしておこう。

 有川浩さんの『植物図鑑』という小説を読んだよ。もうだいぶ前のことになるのだけれど。恋人とわかれたばかりの主人公の住んでいる部屋のごみ収集所に、ある日男性が行き倒れているのを発見する。部屋に上げ、なんやらかんやらあって、一緒に生活することになる。その男性は食べられる植物のことをたくさん知っていて、調理法も知っていて、主人公の女性は世界がぐっと豊かになるんである。高菜らいすも近所の川へ出かけて植物採取をしたくなったくらい。(してないけれど) 男性の個人的事情により、ある日男性は突然姿を消す。主人公の彼女は彼に教わったとおりに、季節の植物を採取し、料理し、男性を待つんである。(んー、待つ、というと語弊があるかもしれない。もう戻ってこないかもしれない、とも思っていただろうし)

 それでも教わった「野草の採取、調理」は続けた。そこがとても面白かったところでした。自身の経験に鑑みるに、親しく過ごした人から教わったこと、その人の癖だとか仕草なんかが、別れてだいぶたってからも、自分の中に残っていることをあるときふと感じることがあります。男女の出会いからさらに範囲を広げて、ヒトの出会いってのは、疎遠になってしまっても、なんらかのカタチで、なにか、影響を及ぼし、その個人自体に変化をもたらすことがある。そんなことを感じます。たとえば言葉使いなども変化するよね。使用する単語に変化が訪れるんだ。これまで使っていなかったような単語を使っていることに気が付き、「恋人できたか?」と問えば、意外と当たっていることがあったりしました。

 そんなことを感じられた物語でした。

 不満を言えば、男性の側のことがあまりよくわからなかったことでしょうか。誤解を恐れずに申し上げますと「デウス・エクス・マキナ」的なものを感じたというか。デウス・エクス・マキナとは、高菜らいすがこの頃知った言葉で、まあ「神の手」、さらに意訳すると「作者の都合」と解釈していただければ良いと思います。そういうのを感じるとちょっと冷めてしまう。読者とはわがままなものですね(^^; おおそして、高菜らいすがこれまで使わなかったような「デウス・エクス・マキナ」なんて言葉を使っているってことは、高菜らいすにも何かヒトとの出会いがあったのかも?と思っていただければと。

 なんつって(笑)

 お。神の手といえば、経済学者の嚆矢であるアダム・スミスに関する本も引き続き読んだりしています。彼の書いた著作原典を解説している本、そのようなものを何点か。原作を読むのは大変そうなので、入門書に当たっているのであります。アダム・スミスさんは『国富論』が有名なのだそうですけれど、もうひとつ『道徳感情論』という著作も残しており、ヒトの「利己心」と「社会秩序」が両立するものであるかどうか考えてみたそうです。たいへん興味をそそられるテーマのように感じます。200年以上前に、そんなこと考えていたヒトがいたのだ。

 入門書で経済学史の概要を知ろう、などと考えていた高菜らいすでしたけれど、一人の経済学者のことを知るだけでも大変なのでして、さくっと概要を一冊の本で会得しようなどというのは虫の良い話でした。時間が意外と掛かりそうです。朝の読書が捗りそうな気配。

 そんなこんなで過ごしています。

 今年は例年にもまして「災害」に見舞われるように感じます。みなさま、お怪我はなかったでしょうか。こういうときには妙な予言めいたものや思想が流行るとか。末法思想とかね。そんな怪しげなものに惑わされることなきよう、お気をつけ下さい。

 自分も気を付けなければ、と。


真夏の炬燵でコンクラーヴェ [水琴窟のウンディーネ]

すがきやは名古屋の味.jpg

 何かこう、新しい想像が膨らみそうな。

 不思議な気持ちで過ごしています。やや、意味不明ですな。みなさまにご説明申し上げますと、「菅原道真」と「飛梅」をモチーフにした物語が高菜らいすの頭の中でむくむくと育っている昨今なのです。菅原道真は政争に敗れて大宰府に左遷されたと言われています。左遷されることになったとき、庭の梅の木に「私はもうここから去るけれど、梅の花よ、主がいないからって咲くのを忘れてはいけないよ。春になったら咲くんだよ」と歌を詠んだ。するとこの梅の木は道真を追いかけて太宰府まで飛んでついていった。主を追いかけたんだね。

 また藤原一族が流行病で相次いでなくなったときには、「菅公の祟りじゃ!」と都で噂されたとか。祟りだと解釈したということは、ひょっとしたら後ろめたい気持ちもあったのかなと思われる。都でバリバリの文官をしていた当時の道真は、藤原氏の勢威もなんのその、「間違ってる!」といさめたりもしていたそう。

 さらにウィキペディアによると、菅原氏というのは天穂日命(アメノホヒノミコト)の子孫であるという記述もある。日本神話に結び付けられるくらいには、勢いのあった一族だったのだろうと推察されます。

 そんな道真の血統や生き様を想像して、まずは高菜らいす脳内で「菅原道真」をモチーフにした男性キャラクターができあがる。その後、例の梅の木、この梅の木を擬人化させる、たとえば小さな可愛らしい童女を「梅の木の化身」として想像してみる。そしてこの二人が、左遷される旅の道中或いは左遷先で、言葉を交わす。そんな物語がどんどんと育ってきているのであります。

 華やかさは控えめな、素朴な舞台が似合うかもしれない。ただ素朴すぎると現代人である高菜らいすに対していまいちフックに乏しい気もする。補わなければ、と思いまして、たとえば「恐ろしく勝気」な童女というイメージを盛り込んではどうか。モチーフとした「飛梅」の話では道真を慕って追いかけた梅だったけれど、少し見方を変えて、梅の化身が存在する世界、現実界と合わせ鏡になっている異界にはルールがあって、梅はそのルールに従いしぶしぶ道真を追いかけざるを得なかった、という追加設定を考えたり。旅の道中、道真は物の怪である梅の童女を本気で斬ろうと思ったりすることも。ときには政争の一部始終を眺めていた梅の童女が問う、「なぜあのときああしなかったのか? 形勢が不利であるのにさらに不利になるような言動をするのか?」と問うのである。

 道真モチーフの男性キャラは強く答える。「自分には信念があって、それを曲げることができなかったからだ。いまでもこの信念は変わらない」と。梅の子は「ヒトってバカだなあ」と思う。なぜこんなにバカなのだろうと、その理由を少し考えたくなってしまう。興味が湧いてきたんだ。そうして、神の眷属と呼ぶにはあまりにも力を失ってしまったヒトの寿命は短く、出来ることも極めて少ないということに思い当たる。梅の木自身も、植物を統べる樹木の神<ククノチの神>の眷属の一員ではあるけれど、力はどんどん失われている。自分の一族もいつかはヒトのような儚い存在となってしまうのであろうか、と考えたりするんであった。

 二人の初めての出会いの場面は、やはりおセンチになっていた道真が歌を詠んだときがふさわしいのではないか。道真が梅の木に対して歌を詠んだときに、突然梅の化身に激しい言葉で突き返されるのだ。「お前がおらんでもこっちは新春になりゃ勝手に咲いたらぁ! 世界はお前を中心に回っとんのと違うで! なにセンチメンタルになっとんじゃい! キモイ! あんたのせいでわたしは賭けに負けたんじゃ! わたしはあんたを推しとったのに! なんで政争に負けてんねんこのくそたわけ! ボケ! あほ!」とすごまれるんである。うん、異界の生き物たちで賭けをしていて、それに負けた梅の木は罰ゲームとして現前することになり、左遷地についていくことになったというのはどうだろうか。異界の賭場には、藤の化身、桐の化身、萩の化身、などもいたのかも?

 などと、断片と呼べるくらいには妄想が広がるのであります。
 ただ思いついたことを紙にだらだらと書き留める。
 そんな昨今。誰かこんな物語を書いてはくれまいか。

 さておき今は現代物の物語を書いています。「食品製造工場で働く40代男性の物語」です。お仕事や働くことについて考えたくなる高菜らいすのようです。「なぜ若者はすぐに辞めてしまうのか。辛いのが仕事じゃないか。根性無いなあと思うけれど……ほんとにそれで片付けていいのだろうか? 若者のほうが実は正しく、理にかなっているのではないか?」と不安になってしまう男の人のお話を書いています。ゼリー工場なんだよ? むふふ。

 この頃ゼリーをよく食べています。



【追記】 画像が文章とまったく関係ないじゃん!(笑) スガキヤの袋ラーメンだよ。思い出補正も加わって、おいしいラーメンです。100円くらいで売っていますニャ。


そろそろ携帯電話の神とか、言い出す [いつも渡り廊下シルフ]

おしらせ.jpg

 本日は五山の送り火が行われます。

 午後八時過ぎからほんの一時間程度の賑わいなのですけれど、いったいどこから!と叫びたくなるほど人だかりになります。高菜らいすは緊張しております。電車がめちゃくちゃ混む。どこでもドアでも觔斗雲でも魔法の絨毯でもなんでもいい、誰かくれないものかなあとぼんやり考えるここ数日でありました。

 先日、『図説、地図とあらすじで分かる! 古事記と日本書紀』(坂本勝著)という本を読みました。数年前から高菜らいすは「創世記」というものに非常に関心を持っておりまして、それはなにかというと、「物書きを目指すんであればひとつ、高菜らいすという個体がでっちあげる世界の成り立ちなんかを書いてみたい」という気持ちがありまして、そのせいで現在に伝わる様々な文化の創世記が気になるのであります。

 キリスト教の旧約聖書、それからギリシャ神話、さらにケルトの神々などなど、世の中にはたくさんのでっちあげがあり、面白いなあ、高菜もやってみたいなあとわくわくしてしまうのですけれど、そういえば日本にもあったのでは? と気がついたのです。そうです古事記日本書紀です。図書館にてたまたま借りられる冊数に余裕がありましたので、手にとったこの新書を借りてみました。

 ややー、面白い。

 イザナキ、イザナミという二柱の神については、高菜らいすは女神転生というテレビゲームで初めてのその名前を知ったように記憶しています。「ワガナハ ドリアード コンゴトモ ヨロシク」などなど、懐かしいゲームです。炎の腐海というダンジョンで高菜らいすはギブアップしました(笑) 歩くたび、ダメージ受けるよ。あとエナジードレインというレベルを下げてくる魔法がありまして、非常に恐ろしかった。難易度高すぎる。

 さてさて古事記の解説を読んでみると、この二柱以外にもたくさんの神々が出てきました。二柱の以前にもいくつかの神々がいて、そのあとにアマテラス、スサノヲ、オホクニヌシなど、名前を聞いたことのあるものが。それ以外にも大量の神々が、その神々の身体から生まれてきておりました。「天津日高日子番能邇邇芸命(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)」やその孫にあたる「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズノミコト)」などという存在も登場し、「なんと……まだまだ知らない響きの名前がいっぱいある。そして、長くて覚えられない!」と高菜らいす個人はたいへん驚嘆、感動したのでした。読み進めるに従って次第に神の時代から人に近い存在が登場する物語になる。ヤマトタケルの遠征などは大作RPGゲームにでもなりそうなストーリーです。荒ぶる地方の神々との戦い、伝説の武具、その気性を恐れられ父親から疎まれてしまう悲しい物語などなど、非常にわくわくいたします。

 個人的には、死んだイザナミが黄泉の世界から夫イザナキを執拗に追いかけてくるのが面白かった。ゾンビになって追いかけてくるのじゃよー。怖いー。(似たような神話はギリシャ神話にもあるそうですね。オルフェウスとエウリディケ、だっけな?) 人のあるところには似たような神話が生まれるのか?と考えるのも面白いし、シルクロードを経てはるばる神話が伝わってきていたと考えるのも面白いなと思います。そういえば日本書紀に出てくる「厩戸皇子」は、イエス・キリストのエピソードと似てね?と思ったりね。

 そうだ。以前ウェブログでもお話しした下鴨神社の八咫烏ですけれど、イワレビコノミコト(神武天皇)を導いたと紹介されていました。

 さておき、古事記が神代のことを中心に記述されているのに比べて、日本書紀には天地開闢から持統天皇の時代のことまでが細かく書いてある。この2つの書物の編纂を命じたのが持統天皇の夫天武天皇だ。皇子時代の名前は大海人皇子。日本書紀には厩戸皇子(聖徳太子)や物部氏と蘇我氏の対立なども載っておりました。昔読んだことのある「日本の歴史」という歴史学習漫画に載っていた聖徳太子のエピソードなどはなるほど、日本書紀の記述も大いに参考にされていたのだなあと確認することができました。蘇我馬子が厩戸皇子に訴える、「物部守屋は仏像を捨て、仏閣を焼き払い、僧や尼をむちでぶったのですぞ!(ばちーん、とムチで打つしぐさで)」「なんと……それは酷い」と二人が会話していた漫画のシーンを、ありありと思いだした高菜らいすでした。馬子の涙がアメリカンクラッカーのように描かれていた(笑) 意外と昔のことでも覚えているものですね。(^^ 

 非常に穿った見方かもしれませんけれど、と言いつつ、ホントはそうは思っていないのですけれど、つまり自信を持ってホンネを述べますと、時の権力者自身の正当性を示すためにある程度脚色して描かれたのではないかと思いながら読み進めました。この著書にも「そういうことが考えられる」と解説に書かれていましたしね。天武天皇もまた政争のど真ん中で動かざるを得なかった人物。兄や甥っ子と戦わなければならなかったしね。そうして自らの政権内外に、ひとまずその正当性を歴史という形で示しておかねばならぬ、そう考えたのかも。

 著書内でも述べられていたのですけれど、ヤマトタケルについての記述が、古事記と日本書紀では若干ニュアンスが変わっているそうです。古事記では、ヤマトタケルは父親に疎まれて悲しい死を遂げたことになっているのだけれど、日本書紀では父親はヤマトタケルの功績を認め、息子の死を深く悲しんだということになっているのだとか。

 高菜らいす、意外と完璧主義者なのでありまして、というか神経質なのでありまして、たとえば臣下に「歴史を編纂せよ!」と命じ、出来上がってきた2つの書物に差異があれば、気になって仕方なく夜も寝られずごはんも喉を通らず、「ねえ、臣下さんたち、お手数ですけれど、記述を統一しません?」と言い出しそう(笑) 天武天皇はそんなこと言わなかったのだろうか。「記述に差が出た? かまへんかまへん。細かいこと気にせんでええで」という意見だったのだろうか。「さすが国をおさめるほどの才覚を持った人、器がでかいわ」などと独りごちたんでありました。

 ところが。

 古事記と日本書紀の編纂を命じた天武天皇の崩御後、数十年後になってようやく編纂が終わったということをさきほど知りました。でへへ。お恥ずかしい(^^; 日本史の授業で習ったはずなのだけれど……蘇我馬子の涙のアメリカンクラッカーは憶えていたのに……このことはさっぱり忘れておりました。天武天皇の崩御は686年。古事記の成立は712年。日本書紀の成立は720年。そっかー。じゃあ心配しなくても良かった。さらに冷静になって考えるに、2つの書物をわざわざ編纂させたということは、古事記には古事記の、日本書紀には日本書紀の、それぞれに違った目的があったのだろうなとも考えられる。記述に差異があるのはひょっとしたら当然なのかもね。

 古事記も日本書紀も、面白い。どっちかというと古事記のほうが面白く感じた高菜らいすでした。神代の記述だけに、神がかったことがいっぱい出てくるしね。日本という文化において、神はいっぱい造られたのだなあ。話はそれますけれど、江戸時代なんてそこらのモノにまで何かが宿っているなんて考えることもした。古事記では自然現象から、神の吐瀉物、糞、尿、死骸の各部位に至るまで、様々なところから神が生まれたと描かれていた。想像力を刺激されることうけ合いです。

 「物書きであればギリシャ神話や聖書は必読だよ」と述べられているのを目にすることがあります。その意見にはたしかに賛同するところがあり、しかし、日本にもオモロイ古典がいっぱいあるではないか。灯台下暗し。古事記も必読書に加えて欲しい、そんな気持ちになりました。

 学生時代、つまり中学高校大学と、時間のあるときにもっとこういう本をガッツリ読んでみたらよかったなあと少しだけ後悔したりも。そのときには知らなかったのだ、この愉しみ。思い立ったが吉日などと申します、思い知ったが吉日、と考えて精進したいと思います。

 昔の人の、世界の切り取り方を学んでいます。
 ではでは。


ラジオ体操もない、長い長い夏休みさ [ナギナギ石切ジャンプ]

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 トラウトサーモンの刺身を食べたよー。

 夏場なので生鮮食品の値引きモノは多少危険かと思いつつ、買って持って帰ったあとすぐに食べたので安心です。味もちゃんとしてた。美味しかったよ。原産国名には「チリ」と表示されていました。奇しくも先日『南米チリをサケ輸出大国に変えた日本人たち』(細野昭雄著)という本を読んだばかりだったのだ。スーパーマーケットに並んでいたサケを見てみると全部原産国チリとなっていました。なるほど、本に書いてあることは嘘じゃなかった。チリからの輸入に頼る日本となったんである。

 なぜチリだったかというと、米ソの冷戦の中で、日本の漁獲領域が削減されるであろうことが懸念され、日本はなんとか魚を手に入れたかった。そこでチリにサケを放流してみることにした。チリは、零細漁業で苦しんでいた漁師を助ける方法を模索していた、そしたら日本から打診があった。両者の考えていることが合致したそうな。最初は放流するだけにして、川に帰ってきたサケを獲るという計画だったのだけれど、そのうち養殖技術が進んで、養殖するように計画をシフトしたみたいです。

 昨年だったか、チリのコンセプシオンで地震があり、その影響で津波が日本にもやってきていましたよね。コンセプシオンには養殖用のサケの餌を作る工場があるそうです。さらにコンセプシオンといえば、あのチャールズ・ダーウィンが立ち寄った際にも地震があり、隆起した地面、その断層を見たことが、のちの進化論という仮説を作るきっかけにもなったとかなんとか。そんな記憶を喚起しつつ、本を楽しんだ高菜らいすでした。

 サーモン、うまうまー。

 サケの何が素晴らしいかって、その色と味なのではなかろうか。他のお魚と比べると、生臭さも無いし、食べやすいのだ。見た目鮮やかで食欲も刺激される気がします。ネット上では「サーモン(笑)」とか表記されて、サーモンが好きであることを馬鹿にする方もいらっしゃるときく。サーモンが好きになるのは至極当然のことなのでは? サーモンが好きなことを馬鹿にするなんておかしいぽん。とプンスカしている高菜らいすなのでありました。

 しかし暑い時に食べる刺身は、良かった。動物性タンパクを摂取する必要に迫られた夏には、刺身。そのような新体験が高菜らいすの中に構築された今週でありました。お豆腐もいいけれど、動物性タンパクも、食べたくなるのだ。けれども牛や豚の肉は油がちょっと……などと思ってしまう。そこでお魚ですよ! 気を良くした高菜らいすは今日もまた刺身を食べたんでありました(笑) 今日は「ツバス」のお刺身を。ツバスというのはたしかブリの幼魚もしくは若魚のことだったかと。関西ではツバスと呼ぶんだよー。

 ブリかあ……。
 冬が待ち遠しいな。


バブル期であれば、浜辺ではなく竹やぶか? [フェニックス中華鍋じゃーん]

ピンク色のペチュニア.jpg

 ペチュニアだと思うよー。パラソルパラソル。

 8月になりました。去年は9月中もずっと暑い日が続き、「8月は60日あるのではないか」と疑ったりしていました。今年はどうかそんなことにはなりませんようにと願う高菜らいすです。夜中に雨が降ったり、夕方に雨が降ったりしてくれて多少は涼しい気持ちになったりもしていますけれど、基本的には「夏」ですね、暑いわやっぱ。

 ぐったりの毎日です。

 お昼寝をよくしているのですけれど、そのおともにiPodで音楽を聴いていたりします。iPodはほんと、重宝しています。いろんな音楽を楽しんでいるよ。そんでこの頃聴いているのは落語なのです。あれ、音楽ではないかも?(^^; まあそれはさておき、以前「お初徳兵衛」や「後生鰻」が面白かったとここでも述べたように思います。その後さらに多くの演目を漁っています。怪談話とかね。古今亭志ん生さんだけではなく他の方のも聞いてみたり。そうしてますます「志ん生さんは酔っ払い方が巧い気がするなあ」と再評価しちゃったり。

 ほんとに酔ってんじゃねえか?

 と疑いつつ。実際に舞台上でもお酒で酔っていた、という逸話もあるそうです。あるときには舞台に上がってそのまま寝てしまったこともあったとか。お客からは「今日は寝かせてやれー」と声が飛んだとか(笑) ほんまかいな。さておきこの頃お気に入りで何度も聴いている演目が「芝浜」という演目なのだ。

 簡単に「芝浜」の説明を申し上げますと、魚の振り売りをしている男とその妻の人情噺なのだ。男は名を熊という。熊さんはお酒が大好き。仕事の途中でお酒を飲んじゃったりして失敗したこともあり、何度か断酒宣言をするもことごとくうまくいかなかった。ある朝、少し早起きしてしまった熊さんは浜辺で50両もの大金の入った箱が打ち上げられているのを発見する。やった!これで贅沢して遊んで暮らせる!と喜び勇んで妻のもとへ持って返ってくるのだけれど、拾得物であり、バレたらしょっぴかれて暗いところへ入れられる、と妻は心配する。

 そこで妻は一計を。熊さんを「まあまあとりあえず」と言って寝かせて、その間に大家さんに相談、番所へ拾ったものを届けたのであった。さて、熊さんは起きて喜び気分のまま友人知人を連れて宴会騒ぎへ。なんせ50両もあるんだ、遊ぶぞーってなもんです。そうしてぐでんぐでんに酔っ払い、お店先で寝てしまう。そこへ妻が迎えに来る。

熊「おお、すまねえが、お代をはらっといてくんねえか」
妻「? あんた、なにいってんの?」
熊「50両があるじゃねえか」
妻「は? 夢でもみたんじゃね?」
熊「夢! あれは夢か! まじか! ガクブル……」

 50両を拾ったことは夢だったことになる。あまりの自分の酷さにがっかりで、熊さんはついにお酒を辞めることに成功した。そのあと無我夢中で働き、年の瀬に借金に追われる生活からも解放されるまでになったんであった。「やっぱ人間、働かねえとな!」なんて言っちゃったりしてるし。もともと、お魚の良し悪しがわかる良い眼を持っている人だったのだ。お酒に目がないところだけが欠点だった。部屋の畳を新品に出来たりするくらい余裕が持てるようになったんである。

 そうしてある年の瀬に、妻がついに白状する。

 「あの50両は夢ではなかった。でも、遊んで暮らそう!と言っていたあなたが心配だった。豪遊していたらすぐに羽振りがいいのがバレて、拾ったものを届けなかったことで罰せられていただろう、それも心配だった。落とし主が現れず50両は熊さん、ようやくあなたのものになった。騙してしまってすまなかったね」

 そう言われて熊さんは、妻が本気で自分のことを心配してくれていたことがわかり、「そうしてくれてありがとう」なんて述べるんであった。それをきいた妻は、こう切り出した。

「さあ、もう大丈夫だろう。熊さん、今夜はお酒を飲んでいいよ」
 目の前には久しぶりのお酒。
「うわー、久しぶりだなあ、この香り、いいねえ」
 と熊さんは喜ぶのだけれど、ふと、飲もうとしていたその手を止める。
「あんた、どうしたんだい? もう飲んでいいんだよ?」
 熊さんは言う。
「やっぱり、酒はよしとこう」
「どうしてさ?」
「……また、夢になったら困る」

 そこでお話は終わるのでした。

 なんか面白い、エエ話やなあと高菜らいすは思いつつ、ぼけーっと天井を眺めているんであります。二人が末永く仲良く暮らせればいいなあなどと思ったり。とりあえず素敵な年越しを迎えられたのではないか、そんな気がしたんであります。

 高菜はどうも「人情話」が好きみたいだ。他にもないものかと探しています。落語というジャンルだけではなく、たとえば「講談」という芸能もある。この講談というのは、主に軍記物や政談を名調子で語ってくれる芸能のことなのだ。youtubeなどに動画が上がっていたりします。(がんだむ講談、なんてものもあったよー) ただ、扱っている題材が歴史上の人物であったり、大事件であったりで、落語の人情噺と比べると、身近ではないというか。人情噺の高菜らいすにとっての肝は、「誰もが持っている駄目なとこ、よいとこ」なのであって。にはは。

 いまのところ、古今亭志ん生さんの人情話に勝るものは見つけられずにいます。また講談はどうも語りの抑揚がお経っぽく聞こえちゃって(^^; それでもたぶん、あるとき、「あ! 講談面白い!」と高菜らいすが感じる未来がやってくることでしょう。何度かすれ違い、あるときはっと見つめあう、そんな瞬間が訪れるに違いない。むふふ。

 落語が「伝統芸能」として褒め称えられ、ちょっと近寄りがたい(喩えるなら「一見さんお断り」的な)イメージもあるかもしれないのですけれど、そして寡聞にして高菜らいすにはその「伝統のすごさ」部分についてはいまいちよくわかっておりませんけれども、それでも「人のダメな部分」と「良い部分」、それはつまりちょいと「人の本当の部分」が、シリアスになりすぎずに笑いを交えて語られる、そういうところが落語が長く続いている理由なのかなあと思ったりします。

 仮の未来を想定する高菜らいす、自分がもしママになったとき、子供が夜寝る前に「ママー、絵本を読んでー」とせがまれることもあるかもしれない。そのときには「まあ絵本はさておき、娘よ、これを聴け」と、落語を聞かすなんてことも……ないかな?(笑) 飲む打つ買うとかは子供にはワカンナイしな。落語はやはり、大人の愉しみです。にはは。

 他の人情話も探してみたいと思います。
 ではでは。


ラジオ体操会場で反逆の狼煙 [水琴窟のウンディーネ]

ドクダミ.jpg
八重咲きのドクダミ.jpg

 台風一過。

 朝からあまりに清々しい風が高菜らいすを撫でるものだから、思わず一人旅に出てしまいそうでした。いつもの駅を通り過ぎ、大阪まで行き、海遊館でぼんやりしてこようかな、と本気で考えていた数分でした。まあでもそういうわけにはいかないので、いつもの駅で降りましたとも。お仕事熱心で責任感のある高菜らいすさん、あんたは偉い。社畜と呼ばれようとも、あんたがニッポンを支えているのだ。

 って、会社勤めしてなかった(^^;

 アカデミックなところに勤めている場合は、「会社勤め」と言わずになんというのだろうなあ、などという疑問はさておき、本日の二枚の画像は「ドクダミ」たんなのです。一枚目がスタンダードなドクダミ。二枚目の画像は八重咲きタイプのドクダミのようです。ドクダミにも八重咲きタイプが存在していたことに驚きました。

 調べていないので適当ではない言葉になってしまうかもしれませんけれど、おそらく本来雄しべであったものが変化して花びらのような形になったのではなかろうか。そういう変化は珍しいものではないのかも。高菜らいすにとって驚きの出会いとなりました。ドクダミにも八重咲きタイプがある。これは盲点だ。

 ドクダミは、園芸をされる方にとっては少し困った植物だと聞いたこともあります。なんぼでも生えてきよる。そして匂いがきついとか。「それさえなければドクダミも可愛らしいのに」とおっしゃっている方もいました。ほんとそうだよなー、と心の中で同意したのであります。

 ああしかし、台風一過。すばらしかった。


指先ひとつでダウンサーン [いつも渡り廊下シルフ]

ウキツリボク.jpg

 ごぶさたー。

 腱鞘炎があまり回復しません。右手の人差指と中指がもうずっとビリビリしてる。ビリビリしているだけで、それさえ気にしなければ別に使用しても問題ないのですけれど、もっと動かしたほうがいいのかそれとも休ませたほうがいいのか、難しいところです。さらに高菜らいすのクセとしまして、寝ているときにときどき右手をマクラにして寝てしまうことがありまして、それも痺れの原因になっているのかもしれないという事実が発覚いたしました。

 もうどないせえっちゅうねん。

 さておき画像は「ウキツリボク(浮釣木)」と呼ばれる植物のお花です。別名チロリアンランプと呼ばれることもあるとか。一度視界に入れ、その名前をはっきりと意識できるようになると、あら不思議、世間の民家の軒下にはこのウキツリボクがけっこう好まれて植えられていることに気が付きました。至る所にある。

 高菜もいつか、育ててみたい。

 そういや台風が来ています。現在、高菜らいすの部屋の窓もガタガタと風に揺らされておりまして、網戸が勝手に開閉する始末です。壁に沿って風が吹いてしまっているようで、網戸がね、勝手に空いたりしまったりするんだよ。ほんとに。瓦などが飛んでこないことを祈るばかりです。みなさまは台風時三大死亡フラグである行為、「ちょっと田んぼの様子を見てくる」「ちょっと屋根瓦の補強してくる」「ちょっと海の堤防を見てくる」を行わないようお気をつけください。(田んぼに関しては、その年の収穫に直結する心配事なのかもしれず、心配になる気持ちは多少理解できる。しかし命を落としていたのでは本末転倒なのだ)

 ではではー。


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